일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면

아오조라 문고

竹渓が「好んで辺事を研覈した」と拙堂の言っているのは、思うに蝦夷地の守備と開拓の事についてであろう。

竹渓の没した文政十年以前にあって当時の人心を恟々たらしめた辺事の重なるものは文化三年九月露人の蝦夷を寇した事と、文化五年八月英艦の長崎を騒した事件とである。これより先寛政十年に近藤重蔵は北蝦夷の探険を畢り、享和元年に間宮林蔵は唐太より満洲の地を跋渉して紀行を著した。幕府が北辺守備のために松前志摩守の領地を収めて奉行を置いたのは文化四年である。此の如くにして幕府は遂に文政八年に至り異国船打払の令を沿海の諸藩に伝えたが、その時にはかつて※(「山/欽」、第4水準2-8-64)奇歴落奇士と号せられた竹渓も年既に六十四歳となり、東叡山南の草堂に隠退して「時事懶聞非我分。」〔時事ハ聞クニ懶ク我ガ分ニ非ズ〕といい、また「門外紛紛属少年。」〔門外ノ紛紛タルハ少年ニ属ス〕というが如き歎声を漏すに過ぎなかった。

竹渓が細井平洲の嚶鳴館に出入したことは既にこれを述べた。遺稿の中に泉豊洲、倉成竜渚、頼杏坪らと酬の作あるは重に嚶鳴館の関係からであろう。

大窪詩仏、菊池五山、館柳湾の詩社に参した当時の詩人は大概竹渓の相識であった。