일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면

아오조라 문고

第四十一

明治十六年十月毅堂の門人らが先師の名を不朽ならしむるため、石碑を向島白鬚神社の境内に建てた。碑の篆題は三条実美が書し、文と銘とは三島中洲が撰した。しかし『明治碑文集』及び『中洲文稿』に載録せられた撰文と石面の文とを対照するにやや異同のあることをわたくしは発見した。石刻の文を以て定稿となすべきものであろう。

毅堂の亡後その家は嫡男精一郎が継いだ。精一郎は字を文豹という。一時官吏となって岩手県に赴任したが須臾にして致仕した。以後今日にいたるまで幾十年、文豹は世の交を避け閑適の生涯を送っている。近年其角堂の社中に遊び楊柳庵と号して俳諧を娯しみとしている。

第四十一

中根香亭の著『天王寺大懺悔』なるものに毅堂のことが書いてある。『天王寺大懺悔』は谷中天王寺墓地に埋葬せられた名士聞人が夜半墓より顕れ出で、毘沙門天の質問に応えて各生前の事を語るという諷刺の作である。明治十九年十月金港堂から刊行せられた。ここに毅堂に係わる一節を摘載する。

「跡につづいて六十歳ばかりの少し小造りなれど眉毛濃く目のはっきりとした官員体の人進み出で厚紙の名札を差し出しければ毘沙門天受取って見たもうに従五位鷲津宣光とぞ記したる。