후리가나로 읽는 일본 고전
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면
鷲津氏の家は世々尾張国丹羽郡丹羽村の郷士であった。三島中洲が撰した石碑の文を見るに、「系ハ県主稲万侶ニ出ヅ。稲万侶ノ後裔二郎左衛門尉直光知多郡鷲津ノ地頭ト為ル。因テ氏トス。数世ノ孫甚左衛門諱繁光徙ツテ今ノ邑ニ居ル。コレ君ガ九世ノ祖タリ。」と言ってある。
『尾張名所図会』後篇巻の七丹羽郡のくだりには、「当村に鷲津氏なる人あり。もと美濃国の太守土岐美濃守頼芸の末葉なり。天文十一年斎藤氏に侵されこの地に来り蟄す。それより数代を経て寛政年間の主を幽林といひ博学多材にして門生多く一時に名をなせり。」としてある。
下谷の鷲津家に蔵せらるる系図について見るに、鷲津氏は丹羽県主を姓とし家の紋は六角内輪違とまた桔梗とを用いる。丹羽郡爾波神社及び中島郡太神社の神体なる仲臣子上命をその始祖となし、子孫連綿として累世丹羽郡の領司または大領となった。その始めて鷲津氏を以て姓となしたのは清和天皇貞観五年八月大領司に補した好蔭なるものより三世の孫俊行というものからであるらしい。俊行より五世にして鷲津権太夫綱俊なるものが治承四年に関東の軍に参加した。権太夫の長男太郎長俊と次子次郎長世とは承久の乱に京方の供をなして討死し、三子四郎兵衛尉宗俊は同じ合戦に関東方に加った。