후리가나로 읽는 일본 고전
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면
九月七日に鷲津毅堂の妻佐藤氏みつが男精一郎を生んだ。みつは豊前中津の城主奥平大膳太夫昌服の家臣佐藤某の女である。
十月二日小雨の歇んだ後、夜亥の刻に大地震が起った。枕山湖山毅堂の三家は各罹災の詩を賦している。
枕山の妻は七月盂蘭盆のころから枕に伏していた。枕山は老母と病妻とを扶けて五十日ほど某所に立退き、やがて三枚橋の旧居に還った。律詩の対句に「暫棲原北五旬余。重葺橋南数畝居。」〔暫ク棲ム原北五旬余/重ネテ葺ク橋南数畝ノ居〕と言っている。
津藩の督学斎藤拙堂はこの年六月伊勢を発して江戸に滞在していたので、十月二日の震災を目撃した。「震災行」七言古詩の作がある。拙堂は八月十日(一説ニ十五日)水戸藩の会沢正志、若松藩の黒河内十太夫、津山藩の箕作阮甫、高崎藩の市川達斎らと共に将軍家定に謁見した。芳野金陵の撰した市川達斎の墓誌には謁見の日を八月望となしている。拙堂は昌平黌教授の内命を辞してこの年の冬江戸を去った。鷲津毅堂は長句を賦して拙堂の西帰を送った。その作の初に、「昨日迎公来。涼※(「風にょう+思」、第4水準2-92-36)蘋末弄。今日送公帰。繁霜木葉絳。