일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면

아오조라 문고

わたくしはここに竹渓が寛政二、三年の頃には既に江戸にあったことを証することが出来る。それは竹渓が文化十三年細井徳昌の嚶鳴館至日の詩筵に出席した時の吟作に依ってである。作の題言に「嚶鳴館至日ノ宴ハ宝暦壬申(二年)ヨリ文化丙子(十三年)ニ至ルマデ凡六十五年也。ソノ間累世二主、遷館三所、連綿トシテ絶エズ。カツテ虚歳ナシ。余モマタコノ会ニ参スルコト二十有七度、世ハ殊ナリ事ハ異ル。悲喜交モ集ル。乃チ筆ヲ援イテ詠ヲナス。辞ノ至ル所ヲ知ラザル也。」

これに由って観れば竹渓は文化十三年の冬至に、例年の如く嚶鳴館に開かれた詩筵に赴き、その既に二十七回目に及んだことを知って大に感慨を催したのである。文化十三年より二十七年前は寛政二年にして竹渓の年歯は二十九歳になる。

嚶鳴館は細井平洲の躬ら家塾に命じた名である。平洲は尾張の人。宝暦紀元辛未の年二十四歳にして始て江戸に来り芝三島町に家塾を開いたが宝暦十年二月の大火に遭い、身を以て免れ日本橋浜町山伏井戸の近くに移居した。その後天明二年に至って尾州侯に聘せられその上屋舗内なる市ヶ谷合羽坂に住宅を賜った。竹渓が遷館三所といった所以である。