후리가나로 읽는 일본 고전
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면
の序をつくる時「余年十九、五山詩仏諸老ノ間ニ周旋シ早ク微名ヲ得タリ。勝会アルゴトニ必末班ニ列ス。」云々と言っている。
天保八年の『人名録』は枕山の住所を下谷泉橋通となし、その名を「台嶺、大沼又蔵、名厚、字子寿、一字捨吉、一号水竹居。」〔台嶺、大沼又蔵、名ハ厚、字ハ子寿、一ニ字ハ捨吉、一ニ号ハ水竹居〕となしている。「水竹居」はその父竹渓が文政八年歳晩「掃塵」の作中に「先生閑居号水竹。不洒不掃守老屋。」〔先生閑居シテ水竹ト号シ/洒カズ掃カズシテ老屋ヲ守ル〕というより考えてそのままこれを襲いだものと思われる。
わたくしはここに枕山が東帰した当時の江戸詩壇の状況について少しく知る所がなければならない。
そもそも江戸時代の支那文学がやや明かに経学と詩文との研究を分つようになったのは、荻生徂徠の門より太宰春台、服部南郭の二家を出してより後のことである。徂徠は林羅山出でて後幕府の指定した宋儒朱氏程氏の学説に疑を抱きこれを排斥して専ら明の復古学を主張し、その才学と豪邁の気性とは能く一世を風靡するに至った。徂徠の奉じて立った復古学は徂徠に先立つこと凡百五十年前明朝嘉靖の頃の学者李于鱗王世貞らの称えたものである。