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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

07 第七分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,903 字 · 400 页

青空文庫

光秀はそこにいた。近習も小姓も見えない。ただ独り白絽の小袖を着、太刀、脇息を寄せて坐っていた。

燭の影がことさら青く見えたわけは、光秀のまわりに翠紗の蚊が広く繞っていたからであった。その翠紗の蚊※(「巾+厨」、第4水準2-8-91)は、眠るときは四方とも垂れるようになっているものだが、今は前の一面だけを開いて、蚊竹の上へ幕のように掛けてある。

「左馬介。ずっと寄ってくれ」

「はい」

と、にじり寄って、

「――何御用ですか」

「折り入っての談合だが。……お汝。この光秀に、命をくれぬか」

答えない。左馬介光春は、ものいう口を忘れたかのように、いつまでも、答えない。

彼のそのひとみと。

光秀の異様な耀きをおびたひとみと。

一穂の燭を横にして、凝視を相交わしていることも、依然であった。

「…………」

「…………」

命をくれぬか――という光秀のことばは簡にして明である。坂本以来、夢寐の間も、光春が心ひそかに惧れていたものは、実に、光秀がいつか自己に敗れて、この言をなすのではあるまいかという予感であった。

こよい、ついに光秀は、自分に向って、それを口に出した。光春としては必ずしも唐突なる驚きには打たれない。