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いしかりがわ
石狩川
本庄 陸男
「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页
阿賀妻は合図のようにそう云って立ちあがった。
「ご家老――」と大工の与太郎が云った。
それは、あの日には三十俵五人扶持の門田与太郎であった。しかし今は、鶴のような緊った身体に公然と着る絆天や股引がよく似合っていた。
「なんとした?」と阿賀妻は云った。めくら縞のかたびらを尻からげにするため、帯のあいだに挾めた裾をひきあげていた。それで、伸びあがるようにして聞きかえしたのである。
「棟梁が見えとりませんが――」
「なに?」と低く云って、阿賀妻はふと棒立ちになった。視線は大工小屋に向いたが別に見ているのでもなかった。何か喰い違いが起りつつあるのを感じた。
自分の持場に散らばりかけていたものも何となく足を停めた。ちらりと阿賀妻を見ると眼をそむけてしまった。見てはならぬものを見たかのように急いでその場を離れた。
「長さんはおらるるか?」と阿賀妻は云った。
「はい、長さんは――」と与太郎はどぎまぎしたようにくりかえした。
その松岡長吉はむこうから現われた。彼は自分らの棟梁をその家にたずねて来たのだ。職人は朝が早いのだ。模様を見て来た彼はまた彼で、こ肥りの身体に丸い顔をほころばしていた。