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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

十

属官はこの神田ッ子の話をよく知っていた。彼はのがれるようにさあと阿賀妻を促した。

彼は草鞋を解こうとした。拭きこまれた冷たい式台に腰をおろした。すると彼の視界をすッと横ぎったものがあった。暗い軒の下にそれは立ちどまったのだ、――甚助であった。たずね尋ねてとうとう追いついたのだ。彼は主人を認めると、一またぎにとびこんで来た。阿賀妻の足もとに蹲んで手を貸そうとした。

「いや、止めましょう」と阿賀妻は軽く甚助の手をはずして腰をあげた。

梯子段をのぼりかけていた属官に彼は云った。

「やっぱり、役所で、明日改めて、お目にかかりましょう、申しあげて下さい、――甚助」と彼は返事も聞かずに外に出た。

「――空腹を覚えるな、そのあたりで蕎麦でも喰うて――おやじどの」と彼は帳場をふりかえった。

「浅草、こちらの方向でございました、な」

十

しょうこと無しのこの退屈をまぎらすため、阿賀妻はふところから煙草入れを取りだした。銀のなた豆ぎせるを指にはさんでくるくるまわした。くすんだ光が円を描くのである。

開拓使の応接室は、模様入りのへり取りをした畳が敷いてあった。詰めていた人が呼ばれ、用を済して立つごとに、あとはいやにがらんと広くなった。