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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

彼は趾の先に力を入れて畳を踏みつけた。そうして阿賀妻の前まで歩いて来た。彼はぴたりと坐った。

阿賀妻はあおい顔をあげて、酒くさい呼吸をふーッと吐きかけた。

「ご家老――」と呼びかけられた。

「どなたでしたかな?」

「ご近習目付け組、吉原兵太郎――」

「ふん」

彼は相手の硬ばった顔を見つめた。およそ酒席とはかけ離れた空気がひややかに流れた。

近くのものが目をあげてこちらを見た。それのひろがるのを怖れるように吉原は盃を取って差した。

「お顔を拝借いたしたい」

「この、わしの、か、?」と阿賀妻は顎をひいて、「――顔か」と云った。

彼は刀をひき寄せていた。

「まア、飲め」

「は、ちょっと、ご指示を得たいことがございますので」

「ここでは具合が悪いか」

「まず、ここでは――」

吉原は盃をかえしてあたりを見まわした。何丁かの三味線がかき鳴らされていた。あちらでは踊りさえはじまっていた。人々の注意は散っていた。二人の応酬も、見たところ久濶を叙す挨拶とそれほど変ったところも無くなった。

「借せと云うなら借してもやろう、どこだ?」

「ご案内いたしましょう」

吉原はそう云って座敷廊下にすべり出るのだ。