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いしかりがわ
石狩川
本庄 陸男
「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页
笏を傍らに投げだして云った。
「阿賀妻さん、拙者はただ今、太政大臣のお招ぎから立ちもどったところです」
阿賀妻はくぼんだ眼をぱちくりさせた。それが彼に何の関りを持つと云うのだ。
「うかうかしておるときじゃアごあせんぞ――」
「そうでしょうか」と彼は気がなさそうに云った。
「すべて、国をもとにして考えにゃアなりますまい」
阿賀妻はうつ向いて、ゆっくりもう一ぷく喫いつけた。堀は一ひざ乗りだした。彼には、今朝から今し方までに受けた感激が、まだくわッくわッと沸き立っていた。開拓使長官の使いを受けてその邸に参候するとこの礼装が用意されてあった。特に太政大臣のお召しであると長官は云い、堀はその上官に連れられてまかり出た。まことに鄭重な昼餐の饗応を受けた。それだけのことなのだ、だが、それだけのことが、あるものには人格まで変る重大な変化を起す。その席がわざわざ自分のために設けられたということで涙ぐましくなる。
賤しく育った氏のない徒輩は、彼がたまたま高位高官のものと食事を共にしたということだけでも眼の色をかえて感激する。あるいはそのときを機にして、全然、それに対して犬馬の労を取ろうと決心する。