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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

若い人妻はむせび泣くように見えるのだ。阿賀妻は二三歩傍らに出た。返事があるまで、こんなことに関ずらっている余裕はなかった。そして、歩き出したとき、彼女は呼びとめた。

「あの――」

「拙者を阿賀妻と知って、おてまえは呼びとめられるか」

「はい」

「どなたなれば?」と彼は咎めるように云った。

「玉目三郎の――」と、それだけ云って彼女は砂につっ伏した。

阿賀妻は棒立ちになった。

「うん」

彼はうしろ向きのまま、深くうなずいてゆっくり腕を組んだ。忘れたわけではないが、とにかく、忘れていたのだ。身分の相違と、仕事の忙しさは、あの男の妻としてこんな可憐な女がいたなどとは、考えてやるひまもなかった。思い出したように肩をふるわせている若い女を見て、彼ははじめて、沈うつな――哭するような顔で別れた玉目三郎を憶いだしたのである。――何故かその女を見ていると、玉目三郎はやっぱり溺れたにちがいないと思われて来た。

「それで?――」と阿賀妻は促した。

「ご家老さま」と彼女は、あたりを見まわして寄りそうようにした。誰も見てはいない。聞いてもいない。明け放れた空に浸みとおった朝日の黄色っぽい色と、これもまた、愈々あかるい色になった砂の山々であった。