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さこく
鎖国
和辻 哲郎
日本の悲劇
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 443,306 字 · 875 页
その与える印象は、宗派的な偏執と陰惨な憎悪とのみである。即ち家康の頭脳としての崇伝自身が、すでにキリシタンを説得しようとする理性的な態度を持っていないのである。従って禁教がただ武力による圧迫となったのは当然といわなくてはならぬ。
大久保忠隣は二月二十五日(慶長十九年一月十七日)に京都に着き、翌日から会堂の焼却・破壊、信者の捕縛、転宗の強要などを始めた。棄教転宗を肯んじないものは、俵に入れてころべころべと囃しながら転がして歩いた。女の信者に対しては裸体で晒らすこと、遊女にすることなどで脅かした。さらに頑固なものは火刑にするといって、四条河原に十字架を建て列ねた。京都の町は陰惨な空気に包まれてしまったのである。
しかしこの狂気じみた迫害は長くは続かなかった。二月二十七日には大久保忠隣自身が領地没収の宣告を受け、その命令が三月十日に京都に着いたのである。そこで跡始末は賢明な京都所司代板倉勝重によってなされたのであるが、勝重はその前からすでに追放や流罪の穏やかな策を立て、外国人宣教師に対しては大久保が京都に着くよりも二週間前に退京を命じ、伏見、大坂にいた人々と併せて、船で長崎の方へ送り出したのであった。