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「やまとみんぞく」とはなんぞや
先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
喜田 貞吉
喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页
しかもなお一方にそのマヒトの転なるマウト(モオト)の名称が、或る低級なる農民の称呼として徳川時代までも各地に残存していたことは、また看過すべからざる興味深い事実である。
自分はかつて民族と歴史一巻一号において駆使部と土師部との関係を論じ、その中に明暦四年及び寛文十年の阿波の棟附帳(戸籍)から「間人」なる一階級の民衆の存在を紹介しておいたが、その後同国の田所市太君は、その他にも間人に関する記録の、同国古帳簿に少からず散見することを報道せられた(同誌五巻三号)。同君の紹介せられたところによると、同国の間人には既に万治の頃に田地を有するものの存在した事が明らかである。万治元年十月三日附の名西郡上山村棟附の中に、
高一石二斗九升七合 間人
一家 忠左衛門 三十八
というものがある。間人は元来所謂水飲百姓で、田地を有せず、他人の田を耕して生活する程度のものの称呼であらねばならぬ。平安朝頃の地方政治の甚だしく紊れた時代において、課役を避けんが為に私に僧となり、自ら公民権を放棄した所謂中間法師の亜流の徒が、三善清行の所謂「家に妻子を蓄へ口に腥を啖ひ」ながら、他人の田を耕して依然農業に従事したもの、すなわち間人百姓であるべき筈である。