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「やまとみんぞく」とはなんぞや
先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
喜田 貞吉
喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页
法隆寺再建非再建論の回顧
一 はしがき
一 はしがき
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火に一旦焼失し、その後いつの頃からか再建築に着手して、奈良朝の初め頃までにはほぼ完成を見るに至ったものであることの前提の下に、所謂非再建論に対して素人の無鉄砲なる駁論を発表したのであった。しかもその論鋒が甚だ鋭利にして、文辞辛辣を極めたものであったが為か、図らずも当時の学界に一大センセーションを捲き起し、爾後数ヶ月間は甲論乙駁、盛んに雑誌の紙面を賑わしたものであった。しかしながら当時余輩に対する直接の反駁としては、畢竟非再建論者が主としてその芸術史的見地より、これらの建築物が到底大化以後の所産でありえないと云う実物上の立論を繰り返したもののみで、文献上より余輩の立論に対して、学界を首肯せしむる程の議論には終に接する事が出来なかったのであった。したがって余輩のさきに発表したところの不完全なる論旨は、今もなおほぼ無疵の儘に保存せられているのである。