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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
07 第七分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,903 字 · 400 页
はらはらと落涙して、光春は畳へ手を落しかけたが、やにわに光秀の膝のそばまですり寄って、
「わたくしは今宵ほど人間というものが解らなくなったことはございませぬ。おたがいにまだ幼少と若年の頃、父の家に、机をならべて、何を読み、何を学んで参りましたか。この国の先賢の遺書に主君を弑してもよしなどという辞句が、一字でもあったでしょうか」
「光春。しずかにいえ」
「何洩れましょう。武者隠しの内も、襖のとなりも、あなた様のお声を待つ刺客の刃あるのみです。――殿、御聡明なるわが殿。わたくしは、一日たりと、あなた様の叡智をお疑いしたことはありません。けれど、坂本以来のあなた様は、まるで別人のようにお変りあそばしていた……。それほど自己にお弱いあなた様でもないはずですのに」
「もう遅い。光春、諫言なれば止めにいたせ」
「申します」
「むだだ」
「たとえむだでも、申しあげずにはおられません。……残念です。口惜しゅうございまする」
よよと、光春はひれ伏した両手の上に泣きふるえた。
そのとき、武者隠しの襖が、がたと鳴った。
事難しいと見て、内に潜んでいる刺客が、腕をうずかせたためかもしれない。