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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
「お嬢さんはあの、夕方一遍お帰りになって、御飯をお上りになってから、又皆さんとお出かけになりましてございます」
「皆さんと云うのは?」
「あの、………」
と云って、かみさんはちょっと云い澱んでから、
「あの熊谷さんの若様や何か、皆さん御一緒でございましたが、………」
私は宿のかみさんが、熊谷の名を知っているのみか、「熊谷さんの若様」などと彼を呼ぶのを不思議に思いましたけれど、今そんな事を聞いている暇はなかったのです。
「夕方一遍帰ったと云うと、昼間もみんなと一緒でしたか?」
「お午過ぎに、お一人で泳ぎにいらっしゃいまして、それからあの、熊谷さんの若様と御一緒にお帰りになりまして、………」
「熊谷君と二人ぎりで?」
「はあ、………」
私は実は、まだその時はそんなに慌ててはいませんでしたが、かみさんの言葉が何となく云いにくそうで、その顔つきに当惑の色がますます強く表れて来るのが次第に私を不安にさせました。このかみさんに腹を見られるのはイヤだと思いながら、私の口調は性急にならずにはいませんでした。
「じゃあ何ですか、大勢一緒じゃないんですか!」
「はあ、その時はお二人ぎりで、今日はホテルに昼間のダンスがあるからと仰っしゃって、お出かけになったんでございますが、………」