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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
二十一
一刻も早く彼女に会いたい、顔さえ見れば安心する!―――恋い焦がれるとはその時の私を云うのでしょう、私の胸には「会いたい見たい」の願いより外何物もありませんでした。
花屋敷のうしろの方の、入り組んだ路次の中にある千束町の家へ着いたのは大方七時頃でしたろう。さすがに極まりが悪いので私はそっと格子をあけ、
「あの、大森から来たんですが、ナオミは参っておりましょうか?」
と、土間に立ったまま小声で云いました。
「おや、河合さん」
と、姉は私の言葉を聞きつけて次の間の方から首を出しましたが、怪訝そうな顔つきをして云うのでした。
「へえ、ナオミちゃんが?―――いいえ、参ってはおりませんが」
「そりゃ可笑しいな、来ていない筈はないんですがな、昨夜此方へ伺うと云って出たんですから。………」
二十一
最初私は、姉が彼女の意を含んで隠しているものと邪推したので、いろいろに云って頼んで見ましたが、だんだん聞くと、事実ナオミは此処へ来ていないらしいのです。
「おかしいな、どうも、………荷物も沢山持っていたんだし、あのまま何処へも行かれる筈はないんだけれど。………」
「へえ、荷物を持って?」
「バスケットだの、鞄だの、風呂敷包みだの、大分持って行ったんですよ。