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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

十

「………何分この頃は物価高く、二三年前とは驚くほどの相違にて、さしたる贅沢を致さざるにも不拘、月々の経費に追われ、都会生活もなかなか容易に無之、………」

と、そう書いたのを覚えていますが、親に向ってこんな上手な嘘を云うほど、それほど自分が大胆になってしまったかと思うと、私は我ながら恐ろしい気がしました。が、母は私を信じている上に、悴の大事な嫁としてナオミに対しても慈愛を持っていたことは、二三日してから手許に届いた返辞を見ても分りました。手紙の中には「なをみに着物でも買っておやり」と私が云ってやったよりも百円余計為替が封入してあったのです。

十

エルドラドオのダンスの当夜は土曜日の晩でした。午後の七時半からと云うので、五時頃会社から帰って来ると、ナオミは既に湯上りの肌を脱ぎながら、せっせと顔を作っていました。

「あ、譲治さん、出来て来たわよ」

と、鏡の中から私の姿を見るなり云って、片手をうしろの方へ伸ばして、彼女が指し示すソオファの上には、三越へ頼んで大急ぎで作らせた着物と丸帯とが、包みを解かれて長々と並べてあります。着物は口綿の這入っている比翼の袷で、金紗ちりめんと云うのでしょうか、黒みがかった朱のような地色には、花を黄色く葉を緑に、点々と散らした総模様があり、帯には銀糸で縫いを施した二たすじ三すじの波がゆらめき