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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
二十
「では御機嫌よう、どうも長々御厄介になりました。―――」
と、出て行くときにそう云った彼女の挨拶は、至極あっさりしたものでした。
二十
彼女の俥が行ってしまうと、私はどう云う積りだったか直ぐに懐中時計を出して、時間を見ました。ちょうど午後零時三十六分、………ああそうか、さっき彼女が曙楼を出て来たのが十一時、それからあんな大喧嘩をしてあッと云う間に形勢が変り、今まで此処に立っていた彼女がもう居なくなってしまったんだ。その間が僅かに一時間と三十六分。………人は屡※(二の字点、1-2-22)、看護していた病人が最後の息を引き取る時とか、又は大地震に出っ会した時とかに、覚えず知らず時計を見る癖があるものですが、私がその時ふいと時計を出して見たのも大方それに似たような気持だったでしょう。大正某年十一月某日午後零時三十六分、―――自分はこの日のこの時刻に、遂にナオミと別れてしまった。自分と彼女との関係は、この時を以て或は終焉を告げるかも知れない。………
「先ずほッとした! 重荷が下りた!」
何しろ私はこの間じゅうの暗闘に疲れ切っていた際だったので、そう思うと同時にぐったり椅子に腰かけたままぼんやりしてしまいました。