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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

三

三

私がいよいよナオミを引き取って、その「お伽噺の家」へ移ったのは、五月下旬のことでしたろう。這入って見ると思ったほどに不便でもなく、日あたりのいい屋根裏の部屋からは海が眺められ、南を向いた前の空地は花壇を造るのに都合がよく、家の近所をときどき省線の電車の通るのが瑕でしたけれど、間にちょっとした田圃があるのでそれもそんなにやかましくはなく、先ずこれならば申し分のない住居でした。のみならず、何分そう云う普通の人には不適当な家でしたから、思いの外に家賃が安く、一般に物価の安いあの頃のことではありましたが、敷金なしの月々二十円というので、それも私には気に入りました。

「ナオミちゃん、これからお前は私のことを『河合さん』と呼ばないで『譲治さん』とお呼び。そしてほんとに友達のように暮らそうじゃないか」

と、引越した日に私は彼女に云い聞かせました。勿論私の郷里の方へも、今度下宿を引払って一軒家を持ったこと、女中代りに十五になる少女を雇い入れたこと、などを知らせてやりましたけれど、彼女と「友達のように」暮らすとは云ってやりませんでした。国の方から身内の者が訪ねて来ることはめったにないのだし、いずれそのうち、知らせる必要が起った場合には知らせてやろうと、そう考えていたのです。