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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

それと云うのが、何しろ実に意外な事が後から後からと起って来て、欺された上にも欺されていたことが分るに随い、私の神経は異常に鋭く、病的になり、いろいろな場合を想像したり臆測したりし始めるので、そうなって来るとナオミと云うものが、とても私の智慧では及ばない神変不可思議の通力を備え、又いつの間に何をしているか、ちっとも安心はならないように思われて来るのです。己はこうしてはいられない、どんな事件が留守の間に降って湧いているかも知れない。―――私は会社をそこそこにして、大急ぎで鎌倉に帰って来ました。

「やあ、只今」

と、私は門口に立っている上さんの顔を見るなり云いました。

「いますかね、内に?」

「はあ、いらっしゃるようでございますよ」

それで私はほっとしながら、

「誰か訪ねて来た者はありませんかね?」

「いいえ、どなたも」

「どうです? どんな様子ですかね?」

私は頤で離れの方をさしながら、上さんに眼くばせしました。そしてその時気が附いたのですが、ナオミの居るべきその座敷は、障子が締まって、ガラスの中は薄暗く、ひっそりとして、人気がないように見えるのでした。

「さあ、どんな御様子か、―――今日は一日じっと彼処に這入っていらっしゃいますけれど、………」