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いしかりがわ
石狩川
本庄 陸男
「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页
だが、彼は手をかけずには立ち去れぬ気持になっていた。ペッと掌に唾をつけてそれを掴んだ。引こうとした、押そうとした、抜きさしならぬ堅さに締っていた。鋸の鉄は木の筋にしめつけられて動きが取れぬ。
手にあまる抵抗であった――それを意識した阿賀妻のそげた頻から血がひいた。どこかの一点をぐいと睨んだ。瞳が白く光って、それは彼の挑む姿であった。もはや思念は、鋸と材木に凝りかたまった。唇をひんまげるのだ。腰をかがめて楔形の矢を取った。それを木口に挾んで一歩うしろにさがった。手許にあった掛矢をふりかぶった。二度三度と叩きつけた。堅い枯れた木の矢は、ずしんと音たてて挽き材の間に喰いこんだ。鋸は白い刃をさか立てておが屑のうえに落ちた。
松岡長吉はその音に導かれてやって来た。草履をひっかけた彼の足音は、やわらかいおが屑のなかに消えてしまった。彼は立ちどまってふと相手をうかがうようにした。掛矢の柄を杖づくように腰にあて、木材のうえに立ちはだかっているこの大きくない男に、手軽く近づけぬものを感ずるのであった。その男はあちらを向いていた。間違いもなくイシカリの濁った流れ、それから際涯のないイシカリの原野を見わたしていた。