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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

「丁度――お呼びでした」

堀盛が廊下の彼方で手招いでいた。

「出来た」と彼は一言云った。

光りのかすれたようなその場所で立ちどまって、阿賀妻はしばらく無言に相手の眼を見ていた。表情が停止するひとときに、彼の昂奮はどこかにさっと、音もなく流れ去ってしまった。眼尻にしわが集まって来て、唇がすぼまるのである。

相手の態度も同じように動かなかった。しかめたような眼をして眺めあっていた。阿賀妻がかすかな笑みを見せたとき堀はぬっと右手をつき出したのである。

「これです、ごらんなさい」

無雑作におしつけられた奉書紙の一片は、阿賀妻にとっては膝まずいて押しいただきたいものであった。天と地の折目をのばして、一折りずつひろげると、先ず主人邦夷の名が例の通り低く書かれて、「其方へ、石狩国石狩郡ノウチ、トウベツノ地一帯ノ貸付被仰付候事」と二行に書き、「明治四年六月、開拓使」と署名されていた。阿賀妻は声に出して読みおろした。二度三度繰りかえすうちに、何か張りあいの抜ける寂しさを味わった。今回、いろいろな条件の悪化が、最も至難であろうと決意していたに拘らず、当然予想された力説や嘆願の手を用いさせないで、あまりに手軽にこの墨付きを受けてしまったのだ。