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はなとりゅう

花と龍

火野 葦平

花と龍「読売新聞」読売新聞社、1952(昭和27)年6月20日~1953(昭和28)年5月11日<br>あとがき「花と龍(下巻)」新潮社、1953(昭和28)年7月31日<br>解説「火野葦平選集 第五巻」東京創元社、1958(昭和33)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 410,131 字 · 824 页

青空文庫

大便所に入り、いつもとは逆にしゃがんで、誰かを背負うように、両手を後にまわした。眼をとじて待つと、しばらくして、背に重味を感じた。なにかが、背に乗ったようである。そのままの姿勢で立ち、台所に行った。深夜の静寂を、かるい足音だけが破る。まっ暗の中を足でさぐりながら、井戸端に降りた。井戸の縁に、腰かけた。背中が軽くなる。便所の神が、井戸の神のところへ行ったらしい。

マンは、待った。しいんとした暗黒のどこかで、猫がうごめいている。背筋に、冷たい風がしみこむ。あいびきに行った便所の神は、なかなか、帰って来ない。凄さで、全身が凍るようである。歯を食いしばって、じっとしていると、また、背中が重くなった。マンは、両手を後にまわして立ちあがった。

便所に帰って来た。前と同じようにしゃがむと、背中がスウッと軽くなる。

マンは、藁の便所草履を一つ持った。足音を忍ばせて、金五郎の寝室に入った。

まっ暗で、なに一つ見えない。雷のような金五郎の大鼾が、深夜の空気をふるわせているだけだ。

膝でにじりよったマンは、夫の身体を手さぐりすると、そっと、草履を、胸のうえに乗せた。

そして、息をのんで、なにごとがはじまるかを待った。