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「やまとみんぞく」とはなんぞや

先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選

喜田 貞吉

喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页

青空文庫

したがってそれを単に埋葬の意味を以て神聖なるべき建築物の下に埋めらるべき筈はあるまじき事である。ただそれを地神に捧げ、或いはそれを城櫓の永き守りとなすと想像する場合においてのみ、その埋葬の理由が肯定せられるのである。しからばそれはただちに人柱でなくて何であろう。

しかしそれが既に人柱である以上、たまたま生じたあり合せの屍体をそれに応用するという事は、神に対する誠意を披瀝する意味においていかがであろう。永代を期するこの大城郭の築造において、そんな所謂間に合せが行われたとは信ぜられない。昔の所謂人柱とか人身御供とかいうお話は、多くは伝説に過ぎないものであって、その伝うる如き事実が果して存在しなかったにしたところで、さらにこれを死を見る事帰するが如く、甚だしくこれを重大視しなかった武家時代の思想からこれを考えてみてはいかがであろう。殉死という事は大化に禁じられた以来において、そう引き続き行われたものとは思われない。しかしながら武士の間にはそれが再現された。戦場において主人が戦死した場合、それが到底免れないのであったと云えばそれまでだが、或いは自暴自棄に陥ったと解すればそれまでだが、ともかくその子弟従者がその父兄主人の死に殉ったものは少くなかった。