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「やまとみんぞく」とはなんぞや
先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
喜田 貞吉
喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页
しかるに今の金堂は三間に分れ、設計当時から三本尊の並座を予想したもので、後それが実現せられて西の間の阿弥陀仏が安置せられ、ここに三本尊の並置となり、左右の均斉を得るに至ったのであった。けだし中の間の釈迦仏は太子の御為、東の間なる薬師仏は御父用明天皇の御為なるに対して、御母間人皇后の御為に、西方浄土の教主たる阿弥陀仏を西の間に安置すべく予想せられたのであったに相違ない。
しかしながら、当初二本尊安置の場合にありては、これを三間に分つという事は均斉上如何と思われる。それについて思い合わされる事は、今も中門には正面が無いと言われている事である。正面が無いとは、門の中央に柱が立って、間取りが左右均斉に分れている事の謂である。しかもそれは中門のみではなく、延長焼失のもとの講堂にも、また正面が無かったと言われているのである。しかしながら、これは他の寺院において殆ど類例を見ざるところで、ひとり法隆寺にのみ限られたる特殊の様式と謂うべく、もししいてこれに近いものを求めるならば、僅かに善光寺の本堂においてこれを見る事が出来るのである。善光寺はもと本田善光の住宅であったと言われ、当初その西の庇に阿弥陀仏を安置したものが、仏の希望によって終にそのままとなり、その故事を継承して、今の本堂の構造をなすに至ったのだと伝えられている