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「やまとみんぞく」とはなんぞや

先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選

喜田 貞吉

喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页

青空文庫

何となればこの四天王像の存在は、無論天平十九年の資財帳にも所見が無く、ことに金堂日記によれば、それは延清五師の奉安に係るもので、おそらく承暦の頃に、他の寺から移されたものであった事が極めて明白に知られるからである。したがって小野君の新説は、折角ながら問題にはならぬものであると謂わねばならぬ。ことに皇極天皇二年の兵火は斑鳩宮のみに限られ、斑鳩寺すなわち法隆寺がその後もなお存在した事の反証とも見らるべきものすらあるのである。

また会津君の新説は、もともと法輪寺の研究から導かれたものであるが、しかも同君のこの研究には、根本において史料の扱いに非常なる無理があり、また前提とする資料に根本的の誤解があって、必然的に誤った結論に陥ったものなのである。しかもこの法隆寺の年代論が、それを前提として論定せられたものである以上、これまた到底問題とすべきものでは無いのである。

余輩はこの両君が、さすがに法隆寺の罹災と再建とを認められたる点について、一往の敬意を払うべきものであるとは考えるが、しかしながらかほどまでに丹念に文献的史料を応用せられながら、しかもその鑑別を誤り、日本紀の記事の毫頭疑うべからざる理由を解せずして、もっぱら誤解曲解の上にしいてこれを前代に置かれんとした事は、到底歴史家の常識を以てしては、理解しえざるところ