轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

「やまとみんぞく」とはなんぞや

先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選

喜田 貞吉

喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页

青空文庫

てやっと泳いで帰ったもの千二百五十七人という様な、大醜態を演じた程でありました。かくて桓武天皇の延暦年間に、有名な坂上田村麿が出て参りますまで、二十数年間にわたった奥州の大乱となりました。

坂上田村麿の遠征は大成功でありまして、後世征夷の神として崇められるくらい、今の岩手県中部地方に頑張っておった蝦夷もこれには恐れ入ってしまいました。そこで彼は胆沢城に鎮守府を設けて蝦夷地経営東北守備の根拠地となし、さらにその北の紫波郡の地に志波城を築きました。おそらく今の盛岡市のあたりまでは、田村麿遠征の結果として、すべて服従した事であったでありましょう。俗説では今の青森県七戸町の北方、坪村のあたりまで征服して、ここに「日本中央」と刻した石碑を立てたなどと云いまして、すでに平安朝頃からその説はあり、土地の人はその碑が埋まっている筈だというので、たびたび発掘を試みたりしましたが、そんな事はあるべき筈がありません。

その後十余年嵯峨天皇の弘仁の頃に、さらに文室綿麿が遠征しましたが、この時にはさきに田村麿が行かなかった奥の方までも参りまして、確かに今の岩手県の東北部二戸郡福岡町附近の、爾薩体、都母あたりまでは従えました。