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やまのじんせい
山の人生
柳田 国男
山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,022 字 · 226 页
もちろん話にしたところで根原がなければならぬ。作って偽を説く者はあっても、そうみなが信ずるはずはないからである。ただ話ならば少しずつ成長して行くことはあるかも知れぬ。陸中二戸郡の浄法寺村などで、深山に木を伐る者の発見したというのは、例のマダの樹の皮で作った大草履で、その原料のマダの皮が、およそ馬七頭につけて戻るくらいの分量であったと話している。面白いといって聴くのはよいが、全体に今ではもう話になりすぎている。それというのが風説のみ次第に高く、実際に見た出逢ったという人の例が、だんだん少なくなって行く結果である。
山丈・山姥の鞋という話は、我々の持っていた沓掛の習俗、すなわち浅草仁王門の格子の木にむやみな大わらんじの片足をぶらさげた行為などと比較して考えて見るべきものかと思う。現在各地の街道筋に、沓掛という地名のあるところには、通例は道の神の森または老樹があって、通行の人馬の古沓などが引掛けてある。或いは下から高く投げ上げて占いをしたという地方もあり、または支那でいう鮑魚神同然にその草鞋の喬木の梢にあるを異として、神に祀った話もある。霊山の麓などでは山の土を遠く持ちだすことを山神悪みたもうという信仰もあって、必ず登山の鞋を脱いで行く場処もあるのだが、別に神々に新たなるものを製して献上する例も弘く行われてい