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しん・へいけものがたり
新・平家物語
吉川 英治
02 ちげぐさの巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,012 字 · 245 页
しかし。――客たちは、馬を見ない。
縁にいならぶ人影の声なきひとみは、駒の口前から、静かに、こなたへ向かって礼をした女性にばかりそそがれていた。それは、渡の妻、袈裟にちがいないからである。
かの女は、かの女の良人がいいふらすほど、そう内気ばかりのはにかみやとも見えなかった。微笑をふくんで、客に一礼したあとは、馬と対して、客を見ない。きっと、馬の珠目(眉間)に向かい合って佇立し、両手で、口輪をおさえたまま、悍気のつよい秋の若駒をも、大地にすえて、びくとも、暴れるのは、ゆるさなかった。
月光のせいもあろうが、その横顔の線は、夢殿の飛鳥造りの観音を思わせる。手の指までの真白さ。長やかな黒髪は、青毛の毛づやも見劣るばかりである。たった今まで、召使に交って、厨の内で、煮焚きや水仕をしていたことは事実であろう。常の袿衣を、やや裾高にくくし、白と紫のひもを、裳に連れて垂れていた。
(……ああ。おれも、妻が持ちたい。どこかに、もうひとり、こんな女性はいないものか)
清盛は、自分ののみくだした唾の音に、思わず、顔をあからめた。あたまの中に、瑠璃子の顔がすぐうかんだ。