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しん・へいけものがたり

新・平家物語

吉川 英治

02 ちげぐさの巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,012 字 · 245 页

青空文庫

客は、さすがに、粛とした。――渡にとって、それは、名誉と努力を賭けた野心的な大仕事と、たれにも気持は分かるからだ。それでは、約束がちがうぞと交ぜ返す者もなかった。人びとは、異口同音に、

『それは、ぜひ』と、主に倣って、小坪(庭)に面した縁に座を取っていながれた。

馬を見るには充分なほど、おりふし、秋の夜の月は、昼のように、澄みきっていた。源ノ渡は、かなたの遠い厩へ向かって、

『ひけよ、青毛を』

と、呼ばわった。

かつ。……かつ……かつ……と、蹄の音が近づいてくる。虫の音がやみ、網代垣の萩がうごいた。白球をまきこぼすような露の音に、そこの柴折が開かれたと思うと、ひとりの女性が、駒の口輪を把って、はいってきた。

しずかに、庭面の真ん中に位置をとり、その女性はしゃんと、駒を止めた。

『…………』

客たちは、息をこらし、呀と、声を出す者もなかった。驚きと、感嘆と、恍惚とだけが、そこにあった。

月の下の、青毛の毛づやは、漆黒といっても、濡れ烏といっても、なおいい足りない。

均斉のとれた四股、筋肉の見事さ。春とは見ちがえるばかり上わ背丈も育っている。長い尾毛は地に触れんばかりであり、ただこの名馬にして、人が、凶馬の相ときらう四白の脚もとが目につくが、これまた、雪を踏んでいるかのように、かえって美しい。