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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

見ると、部屋は相変らず取り散らかしてありますけれど、矢張客の来たような形跡はありません。

「ナオミちゃん、只今、………帰って来たよ、………」

そう云っても返辞がないので、梯子段を上って行くと、ナオミは一人四畳半に床を取って、安らかに眠っているのでした。これは彼女に珍しいことではないので、退屈すれば昼でも夜でも、時間を構わず布団の中へもぐり込んで小説を読み、そのまますやすやと寝入ってしまうのが常でしたから、その罪のない寝顔に接しては、私はいよいよ安心するばかりでした。

「この女が己を欺いている? そんな事があるだろうか?………この、現在己の眼の前で平和な呼吸をつづけている女が?………」

私は密かに、彼女の眠りを覚まさないように枕もとへ据わったまま、暫くじっと息を殺してその寝姿を見守りました。昔、狐が美しいお姫様に化けて男を欺したが、寝ている間に正体を顕わして、化けの皮を剥がされてしまった。―――私は何か、子供の時分に聞いたことのあるそんな噺を想い出しました。寝像の悪いナオミは、掻い巻きをすっかり剥いでしまって、両股の間にその襟を挟み、乳の方まで露わになった胸の上へ、片肘を立ててその手の先を、あたかも撓んだ枝のように載せています。