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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
起きている時はあんなに晴れやかな、変幻極りないその顔つきも、今は憂鬱に眉根を寄せて苦い薬を飲まされたような、頸を縊められた人のような、神秘な表情をしているのですが、私は彼女のこの寝顔が大へん好きでした。「お前は寝ると別人のような表情になるね、恐ろしい夢でも見ているように」―――と、よくそんなことを云い云いしました。「これでは彼女の死顔もきっと美しいに違いない」と、そう思ったことも屡※(二の字点、1-2-22)ありました。私はよしやこの女が狐であっても、その正体がこんな妖艶なものであるなら、寧ろ喜んで魅せられることを望んだでしょう。
私は大凡そ三十分ぐらいそうして黙ってすわっていました。笠の蔭から明るい方へはみ出している彼女の手は、甲を下に、掌を上に、綻びかけた花びらのように柔かに握られて、その手頸には静かな脈の打っているのがハッキリと分りました。
「いつ帰ったの?………」
すう、すう、すう、と、安らかに繰り返されていた寝息が少し乱れたかと思うと、やがて彼女は眼を開きました。その憂鬱な表情をまだ何処やらに残しながら、………
「今、………もう少し前」
「なぜあたしを起さなかった?」