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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
二人はあたかも白刃を抜いて立ち向った者がピタリと青眼に構えたように、相手の隙を狙っていました。その瞬間、私は実にナオミの顔を美しいと感じました。女の顔は男の憎しみがかかればかかる程美しくなるのを知りました。カルメンを殺したドン・ホセは、憎めば憎むほど一層彼女が美しくなるので殺したのだと、その心境が私にハッキリ分りました。ナオミがじいッと視線を据えて、顔面の筋肉は微動だもさせずに、血の気の失せた唇をしっかり結んで立っている邪悪の化身のような姿。―――ああ、それこそ淫婦の面魂を遺憾なく露わした形相でした。
「出て行け!」
と、私はもう一度叫ぶや否や、何とも知れない憎さと恐ろしさと美しさに駈り立てられつつ、夢中で彼女の肩を掴んで、出口の方へ突き飛ばしました。
「出て行け! さあ! 出て行けったら!」
「堪忍して、………譲治さん! もう今度ッから、………」
ナオミの表情は俄かに変り、その声の調子は哀訴にふるえ、その眼の縁には涙をさめざめと湛えながら、ぺったりそこへ跪いて歎願するように私の顔を仰ぎ視ました。
「譲治さん、悪かったから堪忍してッてば!………堪忍して、堪忍して、………」