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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

「今晩はア」

と、そう云う声がして、その西洋人が帽子を取った時、私は始めて「おや、この女は?―――」とそう思い、それからしみじみ顔を眺めているうちに、漸く彼女がナオミであることに気がつきました。こう云うと不思議なようですけれども、事実それほどナオミの姿はいつもと変っていたのです。いや、姿だけならいくら変っても見違える筈はありませんが、何よりも先ず私の瞳を欺いたものはその顔でした。どう云う魔法を施したものか、顔がすっかり、皮膚の色から、眼の表情から、輪廓までが変っているので、私はその声を聞かなかったら、帽子を脱いだ今になっても、まだこの女は何処かの知らない西洋人だと思っていたかも分りません。次には前にも云う通り、その肌の色の恐ろしい白さです。洋服の外へはみ出している豊かな肉体のあらゆる部分が、林檎の実のように白いことです。ナオミも日本の女としては黒い方ではありませんでしたが、しかしこんなに白い筈はない。現に殆ど肩の方まで露出している両腕を見ると、それがどうしても日本人の腕とは信じられない。いつぞや帝劇でバンドマンのオペラがあった時、私は若い西洋の女優の腕の白さに見惚れたことがありましたっけが、ちょうどこの腕があれに似ている、いや、あれよりも白いくらいな感じでした。