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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

が、いくらブラシで掻き廻しても、それは静かに、無抵抗に、ただ柔かな弾力を以て動くのみです。………

………私の手にある剃刀は、銀色の虫が這うようにしてなだらかな肌を這い下り、その項から肩の方へ移って行きました。かっぷくのいい彼女の背中が、真っ白な牛乳のように、広く、堆く、私の視野に這入って来ました。一体彼女は、自分の顔は見ているだろうが、背中がこんなに美しいことを知っているだろうか? 彼女自身は恐らくは知るまい。それを一番よく知っているのは私だ、私は嘗てこの背中を、毎日湯に入れて流してやったのだ。あの時もちょうど今のようにシャボンの泡を掻き立てながら。………これは私の恋の古蹟だ。私の手が、私の指が、この凄艶な雪の上に嬉々として戯れ、此処を自由に、楽しく蹈んだことがあるのだ。今でも何処かに痕が残っているかも知れない。………

「譲治さん、手が顫えるわよ、もっとシッカリやって頂戴。………」

突然ナオミの云う声がしました。私は頭がガンガンして、口の中が干涸らびて、奇態に体が顫えるのが自分でも分りました。はッと思って、「気が違ったな」と感じました。それを一生懸命に堪えると、急に顔が熱くなったり、冷めたくなったりしました。