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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
よく世間では「女が男を欺す」と云います。しかし私の経験によると、これは決して最初から「欺す」のではありません。最初は男が自ら進んで「欺される」のを喜ぶのです、惚れた女が出来て見ると、彼女の云うことが嘘であろうと真実であろうと、男の耳には総べて可愛い。たまたま彼女が空涙を流しながら靠れかかって来たりすると、
「ははあ、此奴、この手で己を欺そうとしているな。でもお前は可笑しな奴だ、可愛い奴だ、己にはちゃんとお前の腹は分ってるんだが、折角だから欺されてやるよ。まあまあたんと己をお欺し………」
と、そんな風に男は大腹中に構えて、云わば子供を嬉しがらせるような気持で、わざとその手に乗ってやります。ですから男は女に欺される積りはない。却って女を欺してやっているのだと、そう考えて心の中で笑っています。
その証拠には私とナオミが矢張そうでした。
「あたしの方が譲治さんより悧巧だわね」
と、そう云って、ナオミは私を欺し終せた気になっている。私は自分を間抜け者にして、欺された体を装ってやる。私に取っては浅はかな彼女の嘘を発くよりか、寧ろ彼女を得意がらせ、そうして彼女のよろこぶ顔を見てやった方が、自分もどんなにうれしいか知れない。