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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

むろん何も無かった。ただ、狭い家のなかに重なりあったような人間の息吹きが、そのとき何故か、押し殺されたように静かになっていた。響いて行った阿賀妻の跫音が、一座のものの耳をそばだてたのかも知れない。そして、その静寂は、阿賀妻の胸をひやりと撫でる何ものかであった。双方の気持ががくりと喰いちがったような――何か漠然としたそういうちぐはぐな思いで、彼は次の歩を徐ろに踏みだしていた。

それに似た思いは、集まった彼らのうちの幾人かにも反応していた。近づいて来るものが、誰か、誰であらねばならぬか――その推察はついているくせに、故意に怪訝な眼をたかめ、それとなく脇差をひきよせて闇を睨んでいたのだ。

阿賀妻は切株をまわって行った。

障子を取り外したあの窓の下であった。ぱッと照す光りのなかに全身をさらして、彼は屋内のものに軽く目礼した。

「阿賀妻どのか」と誰かが云った。

「ただ今、立ち戻りました」

そう云った彼の声が反響もなく消えてしまった。人々は深い注意もはらわずあちら向きになってしまった。彼の齎らす首尾についての集りではなかったのか。むしろその態度には、彼の帰着なぞは歯牙にもかけぬ無関心さが読みとれた。