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いしかりがわ
石狩川
本庄 陸男
「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页
二度と行かないで下さい、と、女の口から出たこの言葉を、これだけの条件がささえていたのだ。
男は答える言葉が見つからなかった。
夜っぴて松籟が耳についた。その音を聞きなれたと感ずるころは深い睡りに堕ちていたのであろう。かすかに頬に来る冷たさを覚えて眼をあけると、あたりは明るい朝になっていた。暫くは、どの時代のどの寝ざめかはっきりしなかった。夢にあらわれた頭のなかの少年が、なかなか現在の邦夷自身に合致しないのである。
「お目ざめでございますか」
唐紙の外に女の声があって小間使がすべりこんで来た。
「だれだ――」と咎めた。
「はい」
「ここはどこだ」
「はい、ここは」と小間使は平伏して咽喉をつまらせた。
それを咄嗟に説明することは出来なかった。そして、出来ない苦しさが胸一ぱいになるのである。ここはご殿でもなく――むろんシップの聚落でもなかった。帰って来たもとの領主にとって、全くはじめての寝所であった。この人らの代々がこのあたりの土地を治めた功労に愛でて、そういう理由であたえられた城内の一つの古びた建物――有備館であった。それは、小間使の返事を聞くより先に、当人の記憶に浮んで来た。