轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
さこく
鎖国
和辻 哲郎
日本の悲劇
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 443,306 字 · 875 页
これにはさすがの元宗麟夫人も兜をぬいだといわれている。
一五八一年の九月には、宗麟は臼杵に大きい会堂の建築をはじめた。丁度その頃にワリニャーニが京都の方から帰って来たのである。そこでワリニャーニは会堂のために荘厳な定礎式をあげた。豊後にいる宣教師たちが皆集まって来た。その数は四十人に達した。数年前には僅かに一二人に過ぎなかったのである。そこで人々は改めて日向敗戦以来の艱難な年月を回顧した。宗麟はあの敗戦によって数多くのキリスト教排斥派が戦死したことを感謝しさえした。実際この二年間に宗麟の努力によって得た教会の収穫は、その前の三十年間の収穫よりも多かった。三十年間に出来た信者の数は僅かに二千で、しかも身分の低いものが多かったが、今は、信者数一万を超え、その中に身分の高い武士が多く含まれている。宗麟改宗後にもしあの蹉跌がなかったならば、豊後全国はすでにキリスト教化していたであろう、と人々は感じた。日向へ進出したときの宗麟の空想は、必ずしも根のないものではなかったのである。
臼杵の会堂は、日本にある会堂のなかで最も金のかかった立派なものであった。宗麟はそのために工人を京都から招いた。