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やぎゅうつきかげしょう
柳生月影抄 名作短編集(二)
吉川 英治
線上閱讀吉川 英治《柳生月影抄 名作短編集(二)(やぎゅうつきかげしょう)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 173,309 字 · 352 頁
三
それからの事は、審らかに話せば、余りに長い事になりすぎる。
御主人の開運は、まさしく、信長公にお目にかかった時からだった。
いうまでもなく、義昭将軍の旨を含み、細川殿の使いとなって、岐阜城へ臨んだのが、御縁であった。父、道三を討って、威をほしいままにした斎藤義龍の稲葉山の城も、すでに亡んで岐阜城と名も革まり、そこにはもう信長公が君臨していたのである。
光秀様は、時に、三十九歳であった。
以来、信長公に仕えて、わしの御主人も、
「今度こそ、働く処を得た」
と、欣ばれ、信長公にも、
「よいやつを見出した」
と、お覚えも殊のほか良いとか、いつも洩れ聞いていた。
一躍、織田家の士隊長を仰せ付かったのを見ても、いかに重用されたかが分ろう。
それからの、光秀様の戦歴もまた、輝かしいものであった。
永禄十年二月には、滝川一益の軍に従いて、北国を討伐し、上木、持福、木股などの城を降し。――十一年には、池田勝政の池田城を陥しいれ、十二年には、丹波へ討入っている。
元亀元年となっては。
若狭へ転戦し、続いて、天正元年には、柴田勝家と合体して、滋賀の石山、堅田など、一向宗の僧軍と戦うなど――殆ど、年ごとの正月にも、甲冑を解いて、屠蘇酒を祝った例はないといっても、過言ではない程だった。