후리가나로 읽는 일본 고전
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면
に卜居した。
『遺稿』の中に「庚戌家ニ還ル。」と題した七律がある。これに由って観れば幽林が脚気を病んでその男典を伴い丹羽村の万松亭に還ったのは寛政二年庚戌の年でその齢六十五の時である。
幽林に四男一女のあったことは既に行状に見えている。長男名は典、字は伯経、通称は次右衛門、竹渓と号した。その没年より溯算すれば宝暦十二年に生れた。次子名は吉についてはわたくしは知る所がない。三男名は混、字は子泉、松隠と号した。幽林が晩年の通称九蔵を襲ぎ丹羽村の家を継いだ。その生れた年月は詳でない。四男名は茂、後に基祐、字は某。通称次郎右衛門、号を杉井という。その没した年より考うれば寛政六年の生れである。
長男典は家を継がず江戸に出で幕府御広敷添番衆大沼又吉なるものの養子となった。これは下谷の鷲津家所蔵の系譜に見る所であるが、当時の『武鑑』には大沼又吉の名は記載せられていないようである。
大沼氏を冒した典は竹渓と号して化政の頃江戸の詩壇に名を知られた詩人である。そしてまた今日でもなお世人の記憶している大沼枕山は竹渓の男である。
文化五、六年の頃稲毛屋山が当時知名の儒者文人の詩を採って『采風集』