일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면

아오조라 문고

小舟名は岳、字は君山、通称を八郎という。もと佐倉の藩士である。安政中幕府の旗本小永井藤左衛門の養子となり万延元年国使に従って米国に渡航したことがある。初野田笛浦、古賀謹堂に従って学び後に羽倉簡堂に師事した。名古屋藩校の督学を辞して後東京に帰り浅草新堀に学舎を開き明治二十一年十二月某日に没した。享年六十である。その行実は川田甕江の作った碑文に詳である。

九月八日に明治と改元せられた。この月毅堂は徴士より太政官権弁事に任命せられた。『明治史要』戊辰閏四月の記事に、「官制ヲ改定シ太政官ヲ分ツテ議政行政(略)七官ト為シ、行政官ニ輔相弁事史官ヲ置ク。」云々。また「弁事(十人)ハ公卿諸侯大夫士庶人ヲ以テコレニ充ツ。権弁事モマタコレニ倣フ。内外ノ庶務ヲ受付シ官中ノ庶務ヲ糺判スルコトヲ掌ル。」としてある。おもうに弁事は今日の官省における局長あるいは課長に類するものであろう。太政官と行政官との新に制定せられた時、始めてこれが輔相に任ぜられたものは三条実美、岩倉具視の二卿である。

毅堂は太政官に出仕して以来三条河原の客舎に寓していたが、その家族は名古屋新馬場の邸に留っていた。