후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
永井 荷風의 下谷叢話(したやそうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 122,971자 · 246화면
佐藤一斎の集『愛日楼文』の如きまた頼山陽の『日本外史』の如き皆予め敬所の校閲を俟って然る後刊刻せられたといわれている。敬所は経義を講ずるにはまず周の世の儀式と礼法とを攻究しなければならない。この攻究は則孔子の言った所のものを正確に会釈する道であるとなした。毅堂が安濃津に赴いて敬所に謁しその門生となった時、敬所は年既に八十四歳に達し耳目倶に殆官を失っていたので、当時贄を執って従遊するものは毅堂の外には一人もなかったという。これは丹羽花南が『毅堂集』の賛評に言う所である。毅堂は敬所に従って学ぶこと一年ばかりにして弘化二年十一月十日にその老師を喪った。
当時安濃津の藩校有造館には斎藤拙堂が石川竹崖の後をついで督学の職にあった。教授には川村竹坡、平松楽斎、土井牙の諸儒があって、一藩の学術大に見るべきものがあった。然るに毅堂は永くこの地に留まらず空しく尾州丹羽の家に還った。母磯貝氏はその子の学成らずして中途に還り来ったのを知り、折から雪の降っていたにもかかわらず家に入ることを許さなかった。初母氏は愛児の安濃津に行かんとする時、紅白の小帛を毅堂が著衣の襟裏に縫いつけ、これを母の形見となし名を成すまでは決して家の閾を履んではならぬと言いきかせた。