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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

「御城外を見聞し、報告を蒐めるように」

と、老中から命が出た。

若い旗本ばかりが選ばれ、彼もそのひとりとなって、まだ余燼のもうもうたる市街へ騎馬で出て行った。

行くところ、凄惨を極めて、目もむけられない。

「あ。……ここも」

彼はふと、番町の一角に、馬を立てて、思うまいとしても、思わずにいられないものに胸を衝たれた。

お袖はどこに。わが子のお燕は? ……と。

あの化物刑部のやしきもあとかたもないのだ。土蔵らしいものも崩れ果てたあげく、そこらも焼けて、荒涼たる一面の灰でしかない。

――が、あなたこなたの、屋敷あとの大樹の蔭には、むしろを張り、雨戸をひろい、生き残った避難者たちが、遠方此方にあわれな一時凌ぎをしているのが見える。――もしやそこらにでも? と、彼は、われを忘れて、駒をとばした。

「お袖っ……。お袖っ」

かれは、満目の焼野原へむかって、こう声かぎり呼ぶことを、ただ一度だけ、我にゆるしてと、心に詫びながら呼んでみた。

たれの答えもしなかった。

彼は、灰にまみれた黒い涙のすじを頬に描いて、ヒタ走りに馬を返した。

以後、かれは人知れずにでも、お袖の名はさけばないと意志した。