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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

楽翁の言を、町の声とすると、庶民たちはもう、そんな事まで知っているのだ。

越前守は、心のうちで、

(ああ、裁かれている者は誰か)

と、自問自答していた。

楽翁は、かれの胸中に、何があるか、知るはずもなく、

「それにまた、町の者は、この事件の犯人を召捕るのは、北か南か、というところに、例によって、興味をもってもいるようです。……せがれ義平太も、南に出仕しておりますので、南の悪評を耳にすると、年がいもなく、腹が立ってなりませぬわい。……どうぞ、お奉行にも、御健康を第一に、こんどこそ、北の中山出雲守どの以下を、見事、鼻をあかせてやっていただきたいもので」

老人がいいたかったことは、この点らしい。町の者より、楽翁自身が、ひどくこの「北か南か」に、肩入れなのだ。――そこで自分の激励を終ったように、かれは処方の強腎剤一袋を、見舞において、帰って行った。

翌る日。――また、それからの毎日。

越前守は、平日どおり、奉行所に出仕し、白洲の訴訟を聴き、市政万般の公事を裁決して、変哲もない、平凡な忙しい日を送っていた。

就任以来、世評のとおり、この南町奉行所は、悪党狩りの方では、検挙の成績がわるく、数寄屋橋の揚屋や牢獄は、すこぶる閑散なものだったが、市政方面には、着々と、行政の効果をあげていた。