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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
「刑部っ」
それを、求めていた市川義平太が、馳け上って、すでに、火となっている障子際に近づくと、
「寄るな、馬鹿野郎」
さすが、大悪である、自ら火を放って、立ち腹を切りかけていた。
赤不動の怒相を見るような、かれの一瞬の顔は、正視もできないものだったが、義平太は、火をくぐって、敢然、その悪像へ、組みついて行った。
――だが、縛げてみると、刑部は、舌を噛んでいた。
「駕籠屋さん、火事じゃないかえ。空が、赤いが」
「ほんとに、火事のようですぜ」
「どこ?」
「さあ」
「ちょっと、駕籠から降ろしておくれ」
鶯橋の崖坂を下に見て、ちょうどその頃、二挺の駕籠が、女の客をふたり、降ろしていた。
お袖とお燕であった。堺町の歌舞伎飴のみやげを持って、星と火との、散りまじる夜空を仰いで、しばらく、何か考えていた。
「駕籠屋さん。御苦労さん、ここでいいのよ……」
お燕と一緒に、坂を下って、鶯谷の橋袂まで来ると、かの女の六感は、何かをもう覚ったらしく、
「お燕、いけないよ」
急に、もとの上野の裏山の方へ、走りかけた。
「――待てっ」
するどい声が、あとを追った。しかし、あたりの山木立は、彼女たち二つの影を、すぐ何事もないようにどこかへ隠した。