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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

裏菊の門

互に心をゆるし合っている越前守のために、事件以来、いかに憂い、いかに心をくだいていたか。それは一与力の職を固執すれば足る自分などよりは、はるかに深い深いものがあるかもしれない。

腕拱いて、立ちすくみに、独り考えこんでいた彼の肩に、パラと、大樹の夜つゆが冷たく降った。はっと、われに返って、襟すじを撫でながら、

「そうだ。同僚たちも、何しておるかと、案じていよう。ともあれ今夜は、奉行所へひきあげよう」

思い返して、一方の小道へ、歩み出したときである。

がさっと、闇が揺れた。木の間の暗がりを、白い顔が、泳ぐように、逃げ去って行く。

「あっ、女?」

お袖だ。お袖にちがいない。義平太は身ぶるいに衝き上げられた。与力という使命感。十手を持つ身。御用っと、無意識のうちに叫んでいた。そしてのめるが如くその影を追ったものの――かれはしどろに迷いみだれた――搦めたものか、見遁したものか、いずれが是、いずれが非か、と。

お袖と越前守。

こうふたりの関係が、公となったとき、果たして、越前守の地位が、なお不動であり得るだろうか、世上の非難にたいしてどういい解くか。また、それがふたたび、越前守個人の生涯を禍いせずにいるだろうか。