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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

……女ひとりの生命くらいは」

「げッ。……手にかけてもと、おいいですか」

「何をおどろく。さてはなお、未練をもつか」

「ふ、ふびんです、兄上。罪はまったく、この市十郎にあるのですから」

「いいや、貴様は、女を知らんのだ。なんで、水茶屋の女などが」

「そ、それが、お袖ばかりは、ありふれた世間の女とは」

「どうちがう」

「気だても……」

いいかける弟へ、主殿は、いきなり手をのばして、その襟もとをひッつかみ、

「うぬ、のめのめと、まだ眼がさめぬか」

と、満身の力で小突いた。

肉親への、愛情の怒りには、どんな他人の仇に怒るよりも、烈しい本能が加わるのだった。

まッ青になった市十郎の顔は、死首のように、ガクガクうごいた。閉じている眼から涙のすじを描き、兄の力に、何の抵抗もしなかった。

「切れ状を、書くか書かぬか。さ、いえっ。いわぬか」

「……書きます」

「なに、書くと」

「け、けれど、兄上。おねがいです。万一彼女が、切れぬといっても、刀にものをいわすような、罪なまねはよして下さい。決して、そんなことはなさらないと、私へも、兄上から一札書いてお渡しください」

「そんな、ばかな約束を、貴様に与えられるか。